スポンサーサイト
いじめっ子に一家養われてる件について
人生どうしてこうなった
どゆこと
まあまずことの発端は俺が小学校に上がる年に親が離婚したことに遡る
キリがいい年がいいよねってことだったらしいが、実際は友達が一人もいない世界に放り出される俺としては結構苦痛だったと記憶してる
それでも子どもって言うのは同じ空間に閉じ込めときゃ1時間で友達が出来たりするもんで
俺もなんだかんだで友達が出来たりした。だが、元々の友達関係にはやっぱり入り込めなかった
それから1年は特に何もなかった
階段の踊り場の隅っこで捨て猫ごっこをした記憶がほぼ唯一の記憶だ
毎日やってた記憶がある。捨て猫ごっこ
そして二年生。ここでも特に大したことはなかったんだが
2年生が毎年やる行事ごとで商店街ごっこみたいなのがあって
それの準備中に、とてもとてもふくよかな体型をした女の先生に「あんたは人間のクズ」だと言われた
この前ググったらまだ先生やってるみたいだからお前ら注意するといい
3年生。ここで段々おかしくなってくる
ある日俺は熱を出して、数日学校を休んだんだ
友達がプリントとか給食の牛乳持って来てくれたりした
そして熱が下がって、まだちょっと風邪っぽいかなって感じだったが
学校が楽しみで行ったんだったと思う
普段はマスクしてても、給食のときにマスクしているわけにもいかない
メニューなんか覚えてないが何かを食ってるときに、あの衝動が近づいてきたんだ
そう、くしゃみ。咀嚼している最中にくしゃみが出そうで仕方なかった
我慢しようとした、できなかった。給食はグループで食べるものだったので、前には人がいた
クラスでも明るくて人気者な女の子だった
その子には俺がよーく噛んだ給食(だったもの)がたっぷりぶっかけられたんだろう
まずその子の悲鳴、それに釣られた女子の悲鳴、男はうわぁって顔で見てた
先生が飛んでくるだろ、ちなみにこの先生はほぼ記憶にない
それでなんかいろいろやってた気がする、その女の子は泣いてた。俺も泣いてた
俺はその後保健室に送られた
まだ風邪が酷いんじゃないかっていう世間の目と、俺自体逃げたかったって言うことから、早退が選ばれた
親も何も言わなかった。風邪がぶり返したと思ったんだろうな。あ、ちなみに母子家庭だった。
それでまた数日、俺は学校を休んだ
友達は今度はプリントをポストに入れていくだけだった
ヨーグルトがポストに入ってたりした。食わなかった
で、さらに数日後。俺は地獄を見ることになる
忘れもしない11月26日の朝。久しぶりに登校すると、俺は完全にいじめの対象になってた
女子からは汚物を見るような目で見られ、男子からはもっとダイレクトにゲロマンだとか呼ばれた
やめろって言えば言うほど盛り上がっていく感じ、分かるだろ
給食は誰も机くっつけてくれなかったから1人で食った。友達なんて居なくなってた
学校休んだのがいけなかったんだろうな、その間に熟成されたんだと思う
教室の雰囲気に耐えられなくなって教室外に出たが、なんとその話は部活や委員会、友達づきあいを通して学校中に広まっていたらしい
通りすがるヤツらまでデュフフwwwとか言って俺を見てた
一年生のガキんちょにまでからかわれた
死にたかった
それでも学校には行ってた。母親が結構思いつめるタイプだったんで、心配かけたくなかったのもある
いじめは段々ひどくなってた
置き勉してる引き出しの中に液体のりを大量に流し込まれたり
机の上にびっちりボンドが塗られてたり(乾いてない)
ありもしない噂まで流れだしてた
で、虐めは段々ゲロマン騒動とは関係なくなってきたんだ
生贄の役になっちゃったんだろうな、その後から始まったいじめの首謀者がそいつだった
まあAとしよう。Aは町のサッカークラブ、学校のサッカークラブ両方に所属してるサッカーマンだった
顔も頭もそんな良くなかったが、スポーツマンってことでモテてた記憶がある
ありもしない噂が一番腹立つな
女子は変わらず汚物を見る目で見てるだけだったし、喋ってもくれないがまあ楽だった
寧ろ辛かったのは男子がしてくるいじめだった
上履きが無いと思ったら兎小屋のウンコ穴に埋めてある
筆箱の鉛筆の芯が全部折られてる
とにかく俺が触ったものは誰も触らない
廊下を歩くだけで人々がモーゼする
とにかくいろいろあった
ちなみに殴られたり蹴られたりはなかった
小学生、それも3年生だったからかね
そうして3年生は終わった
記憶にない先生は記憶にない通りに何もしてくれなかった
4年生。多感なお年頃になってくる頃か
とりあえず俺は引き続き学校中の笑いものだった
クラスでも、面倒臭いことは俺に押し付けられて、他のヤツらは楽してばかり
席は男女ペアだったので、隣になった女子が泣いたり喚いたりしたこともある
その頃にはなんかもう、慣れ始めてたな
ただ、確実に笑ったりはしなくなった。何しても馬鹿馬鹿しいとか思ってた
早い邪気眼か、或いは悟りの境地かに俺は立ってた
4年生も特に記憶がない
強いて言えば、クラス全員でその月に誕生日を迎える子を祝うというお誕生日レターっていう奴で
裏に死ねだとバーカだの自殺しろだの書かれた素敵なお手紙をもらったくらいだ
未だに本棚に挟まってるが、あれって女子はまさに中身のないおめでとう文章を書いて
男子は表はそうなんだが、裏にそう書くんだよな。面白かった
あ、唯一クラスの特殊学級に行く程度では無い程度の発達障害?の子だけが俺と仲良くしてくれた
そいつものけ者だったから、まあ傷の舐めあいとも言う
そして5年生。ここでちょっと面白いことが起こる
5年の担任は先生なりたての若い女の人だった
ちょっと気弱そうだったが精一杯頑張ってる感じ、ということを覚えている
で、その先生は多分教師を夢見て頑張ってきたんだろうな
そしたら現実はほぼ学校ぐるみで虐められてる俺だよ。俺の担任だよ
3年4年で先生に言うのを諦めてたので何も言わなかったが、他の先生に聞いたのか、やたら頑張ってくれてた
例えば授業では俺にスポットライトを当てて、目立たそうとしてくる
例えば算数、「はい答えは○○君!」例えば国語、「○○君、教科書音読して!」
先生としては頑張ってたんだろうな、と俺は今でも思うが、まるで逆効果だったことは言うまでもなく
昔は水面から見えてたようないじめも、すっかり水面に隠れてた
当然なくなったわけじゃない。それが、また酷くなり始めた
クラスの全員があからさますぎるくらいに俺を避け始めた
先生が誰かと組ませようとしても絶対に俺が余る
クラスは偶数、休みも居ない、なのに何故か俺は余った
あれがどういうマジックだったのか未だに良く分からない
先生の権限を使って無理矢理に組ませる。俺じゃないほうから露骨に反発が来る
じゃあ違う人と、そいつも嫌がる。じゃあ違う人と、そいつも嫌がる、じゃあ……
その頃には俺も常時賢者だったから、鬱陶しいとか思ってた
先生とすれば、頑張ってるのに自分以外やる気がない状況。辛かったろうな、新任だし
そして、5年生にはあのステキ行事がある。
林間学校だ。場所によっては臨海学校かもしれないが、俺の学校では林間学校だった
決めることはいくつもある
行くバスの席、グループ分け、帰るバスの席
まず行くバスの席で揉めた。揉めに揉めまくって、先生の隣ということで落ち着いた
帰りのバスの席もそうして決まった。またしても先生の隣だ
決まらないのはグループ分け
とにかく誰も俺と組みたくない。それが全員一致の考えだった
何度も言うがクラスは偶数人数だ。なのに偶数でグループを作れといって俺が余る
やむを得ず奇数になっているグループに先生が声をかける、大揉めに揉める
別のグループに声をかける、また大揉めに揉める
誰も俺と関わりたくないのだ。知ってたから落胆はしなかった
とにかくグループが決まらなかった。
学校自体が終わった後も教室でみんなで俺のグループを決めようと話し合いの席が設けられた
何かみんな用事があるらしく帰った
俺はどうしようもないし暇だから居て、先生となんか喋ってた気がする
で、その話し合いの途中。先生がぽろっと言ったんだ
「こんななら俺君、林間学校行かないほうがいいよね。休んじゃう?」
みたいなことを
林間学校って、学期の半分終わった頃だから、9月とか10月?
4月からずーっと俺ばっかり気にしてて疲れてたのかもしれない
で、俺も「そっすね」みたいなこと言って、遅くなってきたから帰った
そしたらその夜、家に電話があったんだ
母親も仕事から帰ってきて遅めの晩ご飯のときだったはず。8時くらいか
どうやらそれは先生からの電話で、先ほどの発言に後から気がついて、本当に申し訳がないことをしたと思ってかけてきたらしい
俺は晩飯食ってたが、電話してる母親の声でこれはおかしいとは思ってた
途中から叫ぶような声になって、それでやっと俺も電話のほうに歩いていったんだ
何があったのかは結局よく知らないが
先生は泣いて謝ってて、母親はそこで始めていじめを知って
そんな感じだったらしい。とにかくカオスな現場だった
ちなみに先ほども書いたが、うちの母親は思いつめるタイプだ
思いつめて突っ走るタイプだ。カっとするタイプとも言う
なんか昔の自分と重ねあわされて泣けてきたわ
次の日、うちの母親が学校に来た
先生と俺と母親とで三者面談が始まった
いじめはいつからなのか、どんな内容なのか、首謀者は誰なのか
どうして今まで言わなかった、先生も気付いてたならどうして何もしてくれないの
今で言ったらモンスターペアレンツってやつに近いかもな
とにかく、母親はヒステリーを起こしてたんだろうな。俺はひたすら帰りたかった
途中からその話し合いは大人だけで行われるようになった
担任の先生だけじゃなく学年主任なんかも居合わせるようになってたらしい
そしてある日、毎週水曜日だか木曜日にあった全校朝会の日、校長がいじめについて長々と語りだした
その後、授業の一環として午前中くらいぶち抜いて何かそう言うビデオを見せられた
午後はいじめについての作文を書かされた
多分うちの母親がやったんだろうなあとは思った
ちなみにそのいじめについての作文で、いじめの首謀者、Aはすばらしい作文を書いたらしい
またまた全校朝会、学校中の生徒の前で校長の乗るあの台であいつはそのすばらしい作文を音読していた
俺?聞いてなかったよそんなもん
その異常ないじめストップ推し、下手すれば今の韓国推しよりも酷いかもしれない
特にうちのクラスが酷かった。やっぱり裏で操っているのはうちの母親だった
クラスのヤツらも気付きだしたらしい、うちのクラスだけがいやにうるさいんだと
それで、やっぱり俺に意識が向いた
先生が居なくなった瞬間にクラス中からわざと聞こえるくらいの声で俺の悪口が聞こえた
「学校来なくなれよ」「死ねよ」「キモッ」「あれ起きてるんだぜ」
などなど。ちなみにそうなるとガチで机に突っ伏すくらいしかすることがなくなる
そんなことになってしばし。ついに待ちに待った林間学校の日が来た
ちなみにグループは先生と一緒ということになっていた
寝る部屋も先生と一緒だった
林間学校の日程中先生とずーっと一緒なことになっていた
小学生のいじめってこんなにひどいのか?
>>44
酷いとかのレベルじゃなくて犯罪
俺はそもそも最初から林間学校なんて行きたくなかった
明らかにつまらないことが分かってたし、興味もなかった
なので、俺はとあることを理由に林間学校を休むことにした
そう、先生が言った言葉である
先生がそう言ったからという理由で俺は林間学校を休んだ
出発時間をすぎて少し経った頃、家に来客があった
先生である。先生が校長と教頭を引き連れて家に来たのである
林間学校には急に熱を出したりしたときに送り返す用の車が用意されるという(そのとき知った)
それで送っていく、だから一緒に行こう、ということだった
俺は断固拒否だった
母親は仕事だったから、家には居なかった
とにかく断固拒否を貫いていたら、諦めたらしい。先生たちは出かけていった
夜、母親が帰ってきた。そしてビックリだ、林間学校に行っているはずの俺が家に居る
当然俺は問い詰められる、行くのが嫌だったからやめた、と言ったら、母親は発狂した
っていうか、あqwせdrftgyふじこみたいなことをガチで言い出した
本当に怖かった。俺の人生が壊された!とか叫んでたのが辛うじて聞こえた
今でも脳にこびり付いてる。あの様子。俺が魔法少女だったら魔女化してたわ
ちなみに俺はこの日から学校に行かなくなった
先生がどれだけ家に来ても電話をかけても嫌だと言った
とにかく絶対に行かなかった
俺の変わりに母親が学校に真昼間にアポ無しでいった
警察のお世話になった
給食中にAのクラスに押しかけて行って、Aに詰め寄り
「お前は殺人者だ!私の息子の人生を壊した!これは殺したと一緒だ!」
みたいなことを叫び続けたらしい
それで警察のお世話になった
なんてことをしてくれたと思ったが、学校になんてもう行く気はなかったのでどうでもよかった
その頃からか、母親がおかしくなってきたのは
まず仕事をやめた。家で酒とタバコ
後は何か知らんがずっと泣いたりしてた
包丁片手に一家心中の危機もあったが
そういうことがあったのは覚えているのにまったく思い出せない
で、6年生になって少し経ったある日、母親は自殺した
買い物行ってくるとか言って、その足で近所のマンションから飛び降りた
え・・
それで俺は父親に引き取られることになった
10年近い年月の後に会った父親の第一印象は「誰だこのオッサン」
家族関係って血筋じゃなくて経過した時間で作られるんだよな
あの時ほどそれを実感したことはないわ
「辛かったら別に言わんでもいいよ」みたいな前置きの後、俺はいろいろ聞かれた
なのでいろいろと喋った
その頃には既にいろいろとどうでも良かったし、母親も死んだ直後だしでさらに投げやりだったと思う
父親は大した返事をしなかったように思う。覚えてないから
父親曰く「引越しさせたいが、俺が住んでたのはクソみたいな借家だ」
だそうで、家は前のままだった
再婚なんかせずに、働いて、まあまあ幸せな人生送ってたらしい
貯蓄もあんまりないらしくて、生活は正直パートの母親の頃とあんまり変わらなかった
母親は「あんなヤツらのいる学校に俺は行かなくていい!」っていう感じだったが
父親は「義務教育なんか鼻ほじってても終わるから」っていう感じだった
つまり、俺の不登校を許容してくれた
その代わり、俺には課題が課せられることとなった
家にあった本、父親が選んだ本、読んで、どんなものでもいいから原稿用紙2枚くらいの感想は書くこと
正直だるかったので渡された本をばーっと読んで適当なことばっかり書いてた
「こんな着眼点もあるのか」とか言ってくれたが、まさかガチで適当に書いただけとも言えない
罪悪感から、段々本を本当に読むようになっていったと記憶している
多分これが6年生の夏くらいか
することもないのでそうやって過ごしてた
通学退学時間は寝てたな
そうこうしてるうちにアレが来た
今度は修学旅行だ
また先生が家に来た。担任は変わってて、知らない男の先生だった
いかにも体育で先生になりましたと言った感じの先生だった
で、修学旅行に来るように暑苦しく言われた
修造をもっと薄めた感じだと思ってもらえると多分大体合ってる
適当に濁してたらいろいろと資料(その土地の文化とか歴史とかなんちゃらとか)を置いて帰って言った
その後何回も来たが、その都度誤魔化してた
父親も仕事で居なかったので、本当に適当に対応してた
ただ、俺がいなくてもその計画は進むわけで
というか、俺がいないほうが着々と進むだろうその計画
先生が手書きで纏めた修学旅行についてのノートにもそれが良く現れてたし
ついに当日。当然のように俺は行かなかった
クシャミって怖いな
>>90
給食でゲロるかトイレ(大)絡みなら1日で有名人になれるよ
その後先生がまた来た。お土産の変なクッキーをくれた
後は、アルバムのために必要だから写真を撮りたいみたいなことを言ってきた
それもお断りした
断り続けたせいでアルバムには俺のまともな写真は一枚しかない
最終的にどうしても根負けして撮ったあのページ一面に並びまくってるあの写真
それで今度は卒業式だ
今度の先生たちは本気で、父親の休みの日にお邪魔させてもらえないかということだった
そうなったら断れず、先生たちが家に来た
5年の時の先生と、今年の担任
5年の時の先生は本気で俺の人生を壊したと思ってるらしくて
あの時あんなこと言わなければ……とかそういうことを何度も言ってた
父親と先生たちと俺で話し合って、その唯一の写真を撮ることには決まった
町に1軒はある写真撮れる店で撮った
それを学校に提出して、卒業式にも結局出なかった
アルバムは家に届いた。先生が持って来てくれたが、ぱーっと見ただけで後は棚に仕舞いこんだ
それで中学生。今度こそ書くことがなくなってくる
家からは出ない、この頃には本も結構まともに読んでたから時間がかかる
感想も一冊一気に終わらないので細切れになる
本当に3年間、何もなかった
3年間で学校に行ったのは片手で数え切れるくらいだ
で、これって何もしなくても卒業が出来る義務教育の欠陥だと思う
不登校本人が語ることじゃないと思うが、自分で学ぼうとしないと本当に何も知識が入らない
自分の好きな本とか好きな知識ばっかり手に入れてた結果、どうしようもなく偏った知識の人間が出来上がった、俺だ
とにかく、俺は結構ガチで頭が悪い
そして中学も終わって高校
義務教育も終わってお国からも投げ出される
そこで父親は俺を呼んで、「せめて高校だけはどんなクソ学校でも出とけ」って言った
だから、電車で数駅の通信に入学した
毎年年度末に紙っぺら一枚出せば10年くらい在学できる学校な
そこに行っても結局俺は学校に行かなかった
もうこの辺になると学校が怖いとかじゃなく、面倒だった
家で茶飲みながら笑っていいとも見てるほうが明らかに楽なんだもんな
特に勉強もしなかった。こうしてまた数年
この辺になると俺もいい年で、父親もまあいい年になってきた
学校に行く気もないのに働く気なんてないよな
父親も別に責めてこなかったし、結局何もしなかった
そうこうしてるうちに、その学校のタイムリミットが近づいてきた
そのタイムリミットまでに卒業できないと、除籍ということになる
ただまあ、もっかい一から手続きすればまた入学も出来るんだなこれが
というわけで、やっぱり俺は焦らず何もしなかった
それで俺はまた高校生になった
家から出ないのに高校生もクソもないが、とにかく高校生なんだよ
そんなある日、父親が無職になった
書いてなかったが、元々そんなご立派な会社とかじゃなかったんだ
家族がやってるような会社で、他人は父親と、あと数名くらいだったらしい
その会社が落ち込んだ、仕事がなくなった、給料が払えない、申し訳ないが……ということらしい
そして収入は途絶えた。なんだかんだ給料も増えたりしてたらしく、貯蓄はあったが、まあ楽できるほどではない
父親もいい年なので、新しい働き口も見つからないようだった
ここで俺は初めて危機感を抱いた、気がする
貯蓄がなくなったらどうすんだよ、と思った
思ったが、どうにかなると思った。働きたくなかったんだよな
そしてまた時間が経った。貯蓄はもうピンチだった
父親は日雇いのバイトで働いて、少しでもと金を稼いでいた
でも、そんな日雇いのバイトで三十路も数えるくらいの俺と自分を養うなんて無理なわけで
初めて父親に土下座された。頼むといわれた
それで、父親の持ってきたタウンワークを人生で初めて読んだ
ただ、タウンワークって結構まともな人向けなんだよな、当然といえば当然だが
高校生歓迎☆明るく素敵な職場です!なんていわれても、俺なんか到底入り込めない
なので、俺も父親みたいに日雇いの世界に入った
正直、本気で辛かった
まともに外に出るのすら十年以上ぶりくらいなのに、さらに働かなきゃいけない
黙々と誰とも関係持たずに出来るならいいが、そうじゃない
正直何度も家から出たくなくて泣いたことがある
ただ、父親の土下座って、どうしようもない一線を越えたものなんだよな
それを思い出すと行かなきゃいけない気がして、無理矢理に行ってた
ちなみに弁当は支給されるところもあったが、基本的には父親が自分の分のついでに作ってくれてた
そんなある日、とあるバイト先でとある奴に会った
ここでようやくスレタイにたどり着く。Aだった
地元から少し離れたところで、三十路ちょい手前くらいで独立して会社してたよ
最初、Aはすごく驚いてたが、俺はいい年こいて息が詰まって体が動かなかった
A:いじめの首謀者
か…
生きた心地がしない仕事が終わった後、Aがわざわざ来て俺を呼んだ
それで、近くのファミレスに誘ってきた
断ろうと思ったが断れず、ついて行った
昔は悟ったようなふりしてたが、あれは一種の拒否反応だったんだろうな
それか、10年以上の間に増幅されたんだろう
十年以上ぶりにあったら怖くて怖くて仕方がなかった
>>1から青春時代と母親を奪った罪は重い
そこでAに謝られた。すまなかったと、本当にすまなかったと
人に土下座されたのは人生で二度目だった
母親が警察にお世話になったあの日、Aは母親に言われて自分がとんでもないことをしたと思ったらしい
ただ、気付いたところでいろんな人に俺のありもしない噂を流した手前、どうにもできず
俺を虐めてるふりをしていたら、肝心の俺が学校に来なくなった
俺の家に行こうにも行きづらい、そんなこんなしてるうちに、有耶無耶にしてしまったんだと
ちなみにAが語ってる間、俺はずっとガクブル状態だった
体が勝手に震えるんだ、コップも上手にもてないくらい
で、それからAは俺のことを時々思い出しはしたがほとんど忘れたような状態ですごしてきて
高校の時代の彼女と結婚して子供も居るらしい
嫁が居て子どもが居て会社も建てて、まさに幸せな人生だよな
そんなある日、俺がその会社に日雇いバイトとして来たんだ
ちなみにやったのはただの雑用な、人手不足だったらしい
そこでAは俺に会って、これが最後のチャンスだと思って、俺を呼び出したらしい
それでいろいろなこと聞かれたし、いろいろなこと聞かされた
いじめの裏側って言うのか、結局のところ、答えを簡略化すると「ただの遊びだった」らしい
最初はゲロマンとしてからかってて、そのうちに楽しくなってきて段々エスカレート。これが正体だった
遊びって時として残酷だよな。カエル破裂なんかもそうだが
それをファミレスで、爽やかな好青年っぽい奴に聞かされる俺ってなんなんだよとか思ったな
俺が学校に来なくなった/母親が押しかけてきた辺りから、俺のいじめは沈静化し始めたらしい
俺の居ない場所で気がついたら終わってたんだぜ
俺からしたら人生狂ったようなことなのに、あいつらからしたら「あーあんな奴いたっけ」程度
さすがにAからしたらその程度ではないみたいだが、そのとき人生って……と思った
で、その日はそれで終わりだった
連絡先を貰って、渡して、じゃあなっつってAは帰って行った
それからしばらく、やっぱり俺はまだ日雇いをしてた
その頃には父親もほぼ完璧に仕事がなくなって、家に居る日が多くなった
そこからまた1年くらいか。ある日Aから電話が来て
「なあちょっと飲みに行かないか」なんていわれたんだ
社会に居るとガチニートでもある程度の社交力が身につくみたいで、結局そこにも出て行った
そこには何か改まったAがいて、第一声は、「俺の会社で働かないか」だった
要するに、俺はお前の人生を滅茶苦茶にした、謝罪がしたい
失った時間は戻せないが、俺に出来ることを考えた、その答えが、そうだったらしい
「お前の席も用意した、給料は他の人より多くする、待遇も良くする、だから働かないか」と
それでいろいろ説明されたよ、条件は明らかに日雇いより良かった
天地の差、月とすっぽん。安定した仕事があるってだけですごく良かった
でもそこはAの世界なわけだろ
あの頃の教室の中と似たような世界なわけで
即決なんか出来なくて、結局俺は待ってもらうことにした
で、家で父親と相談した
父親には「今でも生きてんだから無理することねえよ」って言われた
でも、本当に生きるのがギリギリで、貯蓄なんかないんだよ
血は繋がってるとはいえ第一印象がポっと出の知らんオッサンでも、楽させてやりたくなってな
今思えば、そこ以外にも道は多分あったんだよな
日雇いとは言え、よく会う奴とかはいたし、多少のコネも出来てきてたし
でも目の前の餌に食いついたんだ。いいことかどうかはまだよく分からないな
それで、Aの会社で働くことになった
これが去年の年明け直後くらいの頃か
それ以降、Aは別に俺に昔みたいなことはしてこない
いや、それが当然なんだが。今ではただの、妙な距離のある上司部下くらいだ
あんまり俺に近づいて来ないのは配慮なんだろうか、まあ俺もあまり近づかれたくないのはあるが……
父親は今では家でセカンドライフしてる。
で、これで現代だ
現代?
ああ、今だ今
書き終わっちゃったしどうしようか
質問あれば答える
>>174
今は何で生計を立てていますか?
>>176
給料もらってんよ
>>174
業種は?
>>177
強いて言えば草に詳しくなる
何歳?
>>180
ついに三十路越えた
言わせんな恥ずかしい、中身なんか小学生とかのままなんだぜ
Aの嫁にあいつのせいで俺の母親自殺したんすよwwwって言ってやれ。
>>188
会ったことないんだよな、会社に出てこねえの
家で子育てに専念してるらしいぜ
今、幸せですか?
>>190
そうだと即答はできないから、そうじゃないんだろうな
幸せって良く分からんな、両親が揃ってたころも喧嘩ばっかりしてたんだよなあ
オチは?
>>198
ねえよ
なんならオチはゴミだと思って指で擦ったらナメクジだったってことにしといてくれ
仕事始めた当時の実体験だから
まあ、虐められて思ったことはあれだな
俺の人生壊したんだから、お前の人生も壊していいよな、って
ガチで思った頃がある
一生忘れないし、俺は一生赦さないんだろうな
いじめっ子はそういうところ心の片隅にでも置いておいてくれないか
なんにせよお前が生きて働いているならそれで良いや
>>206
父親にもそう言うこと言われたことがあるわ
健康に生きて全うに働いてんならそれでいんじゃねみたいな
転校すればリセット出来たよな。母も死なずに済んだかもしれない
>>210
親に黙ってたのが悪いんかね
知った後はもうブレーキ壊れた重機みたいなもんだったしな
>>211
俺は小学生の頃虐められ始めて
学校休みがちになって、
母親に「保健室登校にする?」って言われて初めて
ちゃんと学校行くようになった。
休むのも月に2回くらいになってて、
修学旅行先で財布落として探してたら
虐めてた奴らがバツば悪そうな顔して一緒に探してくれた。
結局見つからなかったけど
謝りもしなかったけど俺は恨んでない。
中学は一緒だったが同じクラスに3年間一度もなったことはなくて、
高校も別々だから完全に疎遠になってる。
どこかしら踏ん張る場所を見つけたほうがよかったのかもな
休み時間とか本ばっか読んでたから
地味に国語には強くなったわ
今はバイトしてるし進路も明確になってるし彼女も親友もいるから
充実してる方だと思う。
>>1も頑張って欲しい。
>>212
ああごめん、進路なんてドブに捨てたし彼女も親友も居ない三十路越えなんだ
頑張らないわけじゃないが、夢も希望も無い学歴も資格も無い三十路越えなんだ
いいお父さんだね
>>213
母親と居た頃は毎日喧嘩ばっかだったんだがな……母親とは合わなかったらしいな
第一印象は知らないオッサンだったけど今は父親だって思えるし孝行してやりたいとは思うよ
ただなあ、顔が似てるんだよなあ、血ってこええわ
そのAに母親殺されたようなもんだろ Aをぼこぼこにしてやりたいとは思わんのか
思っても実行しないだけなのか
>>216
正直さ、ボコボコにしたって一瞬気が晴れるだけだし、捕まるんだよ俺だって
あいつの人生壊してやりたいと思ったこともあるが、俺にデメリットが大きすぎるんだよな
母親のことは悲しいとかそういうのじゃないんだよなあ……喪失感?
大きな衝撃ではあったが、悲しかったかと聞かれると覚えてないと返すほかない
コメントの投稿